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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(あ)382号 決定

国籍

韓国(廣尚北道義城郡玉山面五柳洞六二八番地)

住居

大阪市浪速区恵美須町西一丁目四番一九号

繊維製品卸売業

林政行

一九二六年八月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年一月二八日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人山口一男の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 宮崎梧一 裁判官 栗本一夫 裁判官 木下忠良 裁判官 監野宜慶)

○昭和五六年(あ)第三八二号

上告趣意書

被告人 林政行

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は、次のとおりである。

昭和五六年五月三〇日

弁護人 山口一男

最高裁判所第二小法廷 御中

原判決は、判決に影響を及ぼすべき法令違反および重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

(理由)

第一、昭和四九年分田中商店金一、五三九、三九〇円および同五〇年分田中商店外四件合計金一五、四八五、九六〇円の買掛金の存在について。

一、検察官主張を容認した原審判決には証拠法則違背の法令違反がある。

1 右買掛金についての争点は、公表帳簿上に記載されている期末買掛金の存否についてであるが、検察官もその仕入の事実自体は否定していないので、争点の中心はその仕入代金の支払時期(支払日の帰属年度)について存する。

2 原審は、弁護人の主張を証する

(一) 公表帳簿(仕入帳)上の、これら六件の期末買掛金の翌期に繰り越された旨の記載および当該翌期中に右繰越金が支払われた旨の記載

(二) 右記載にそう経理係田口トミエの証言およびこれを裏付ける領収証六通

の各証拠をいずれも排斥し、検察官の、これら六件の買掛金債務は、全てその期中の(裏金による)支払によって消滅し期末には存在しない、との主張を容認した。

3 然し、右原審判決には証拠法則違背の法令違反がある。即ち、

(一) 前述のとおり、対象とされている買掛金債務についてはその発生自体は検察官の認めているところであるから、その債務金が期中において消滅したとする事実についての立証責任は当然に検察官側にあることは云うまでもない(なお、貸借対照表の勘定科目が訴因の内容であると解すべきことについては、昭和四〇年一二月二四日最高裁第三小法廷決定)。

(二) 然るに、検察官からは右主張事実(期中に支払をしたとの)を証明する物的証拠はなんら提出されていない。被告人は本件の六件分のほかに数件の係争年度分の公表帳簿上の期末買掛金を否認されているが、それらの否認はいずれも物的証拠(当期中の受領日付の記入のある相手方の領収証)にもとづくものである。然し、本件の六件分についてはこのような証拠は全く存しない。

(三) 原審は、刑訴法第三二八条書面である田口トミエに対する収税官吏の質問てん末書によって証人としての同人の証言の信用性を否定し、また弁護人提出の前記六通の取引先の領収証についてもその真偽の程を確認する途がない等としてその信憑性を否定した。右原審判断の当否は一応措くとして弁護人が提出した右の諸証拠は全て反証に属するものであり、従って、それらの証明力についての原審の評価が仮りに正しいものと仮定してみても、それによって検察官において、その負担する要証事実(買掛金債務の不存在)について厳格なる証明の立証責任を免れるいわれはない。また、前記刑訴法第三二八条の弾劾証拠をもって要証事実の認定をすることの許されないものであることについても多言を要しない(最判昭和二八・二・一七集七-二三七)。

(四) 結局、原審は、弁護人提出の反証を排斥することにのみ終始し、要証事実についての厳格な証明を経ることなく検察官主張事実をたやすく容認した違法がある(刑訴法第三一七条違背)。

二、原審の認定には重大な事実誤認がある。

1 田口トミエに対する収税官吏の質問てん末書の供述の信憑性について。

(一) 原審判決は、右のてん末書において、同人が「田中商店(但し、昭和四九年分)、大協ニット、丸吉商店、中西準関係の各期末買掛金の存在に関し、公判廷の証言と矛盾する供述をしている」と指摘する。

(二) 然し、同人は、被告人の「都繊維」において、主に伝票処理等の機械的作業に従事していたものであり、(同人の証人調書)、「都繊維」における全ての金銭の出入を管掌していたものではない(昭和五二年一月二一日付収税官吏質問てん末書問六のなかで「表に金がないときは裏の金で社長が支払ったことがある」との記述参照)。従って、同人の収税官吏に対する供述は、全て(社長が支払ったであろう、との)憶測の域を出ないものである。

(三) また、原審判決の指摘する供述についてみても、はじめの五二年一月二一日のてん末書では、七洋繊維、末広商事の二件の名前だけを挙げ、その他は、(証拠がないので)はっきりしない、と答えているのに(同てん末書「問六」)次いで、同年四月二〇日のてん末書では突如前言をひるがえし、本件裁判で問題になっている大協ニット、丸吉商店、吉村商店の名前を挙げて被告人に不利益の供述をするに至っている。右突然の供述の変更には収税官吏の誘導のあとが歴然と認められる。しかも、二回目の質問てん末書のなかでもなお、昭和五〇年分の山本商店、および中西準分については依然、収税官吏の質問に対し否定的ないし懐疑的の供述をしていることが注目される(同てん末書問四)。

(四) 畢竟、田口トミエの収税官吏の質問てん末書は同人の公判廷における証言に比べ著しくその信憑性に欠けるものというべきである。

2 本件買掛金の取引先との取引が全て現金決済であったと考えるのが自然で合理的である、とする原審の判断について。

(一) 原審は、「被告が商品の現金化を急ぐブローカー相手の現金仕入れに重点をおいて事業を拡張させてきたこと」と「本件買掛金の取引先がいずれもブローカーであること」とを結びつけて、たやすく右の判断を下している。

(二) 然し、本件六件の買掛取引先と被告人との間の取引は決して一回限りのものではなく、いずれも何回にもわたって取引を重ねていたものであることは証拠上明らかなところである(各年度公表帳簿の仕入記載)。

(三) とすると、原審が認定するように、そのつど現金決済をすることが自然で合理的であるとはとうてい云い得ない。現に、原判決も、前記被告人のとっていた営業方針(ブローカー相手の現金仕入重点)のもとでも係争の両年度について相当多額の期末買掛金を認めているのである(第一審判決書添付の各年度の修正貸借対照表「買掛金」勘定参照)。何故、本件六件の取引分だけを現金決済のものであると決めつけるのか、むしろ、そのような決めつけこそ不自然、不合理であり、通常継続反覆して行われている商人間の売買における代金決済の実態を無視した考え方であるといわざるを得ない。

3 丸吉商店との間の買掛金について

(一) 原審は、被告人の検察官に対する昭和五三年三月四日付供述調書にも言及して右買掛金の存在を否定しているが、右原審挙示検面調書には丸吉商店の買掛金のことについては一言半句も触れていない(右調書は、中西準に対する買掛金が存在していることについての被告人の弁解供述のみである)。原審の判断とそこに示されている証拠との間には明らかな食い違いがある。

(二) また「昭和五〇年末に丸吉商店から約四〇〇万円の商品の販売委託がなされ、商品の引渡しを受けたが委託商品であるため前記公表仕入帳にも仕入として計上していない」と認定しているが、右の認定は客観的に存在する物的証拠(押第二七九号、符一六号昭和五〇年公表仕入帳「吉浦関係」)および右仕入帳の記載についての吉浦の証言(第一回、三二丁表まで)を無視した独断に出たものであり、明らかな事実誤認である。

4 公表帳簿(仕入)の記載の信用性について

(一) 原審は、昭和五〇年仕入帳の三宅商店外三件の、また昭和四九年仕入帳の三宅商店外三件の記載が取引の実態にそぐわないものであるから、公表帳簿の記載全体についてその真実性はきわめて薄い、と断定している。

(二) 右原審のいう「取引の実態にそぐわない記載」とは、いかなる事実を指しているのか判示事実からは判然としないが、そのことは、ともかくとして原審が挙げている取引先はいずれも本件の争点となっている取引先ではなく、また、その件数も被告人の全取引先件数(約三七件)のうちの一割そこそこのものに止まる。従って原審の右判断は明らかに針小棒大のそしりを免れ得ない。

(三) さらに、本件では、特定の取引先との間の買掛金の存否が争点となっているのであるから公表帳簿との関係についても右特定の取引先関係の仕入記載そのものの真偽を直接の証拠をもって吟味すべきであり、他の、本件争点とは全く関係のない取引先についてのものに対する判断をもって右の吟味に代えることは許されないものと思料する。

5 弁護人提出の領収証の信憑性について

(一) 中西準の領収証について

(1) 原審は、被告人がその作成日を変造したとして右領収証は信用できない、とする。

(2) 然し、右原審のいう変造の内容は支払月日についてであって、支払年度(昭和五一年)については変更はない。前述のとおり、本件の争点の中心は支払日の帰属年度について存するのであるから畢竟、原審のいう右変造は、その領収証の信憑性とは直接に関係のないことがらであり、原審の右判断は失当である。

(二) 丸吉関係の領収証について

(1) 丸吉関係の領収証三通については原審も、その作成自体の点に疑問をさし挾む余地はない、としている。

(2) とすると、丸吉関係の期末買掛金が昭和五〇年の公表帳簿に記載されていたことの事実は前述(前記二の3の(二))のとおりであるから、右三通の領収証は、右期末買掛金を翌期の昭和五一年において支払ったことの事実を証明する有力の証拠であり、これを看過して右期末買掛金が不存在であるとする検察官主張をたやすく容認した原審判断には明らかな事実誤認がある。

6 「期末買掛金」についての被告人の査察官らに対する供述について

(一) 右供述をするに至った背景

(1) 被告人は査察官の調査段階では「簿外たな卸」に最重点をおいてその調査結果に対し異議を唱えていた。このことは、原審挙示の収税官吏質問てん末書(昭和五二年三月三日付)をみても、かなりのスペースがこのことに割かれている(問一に対する答の(九)および問二の問答)ことからも十分窺える。この被告人の「簿外たな卸」についての異議は検察官に対してもひきつづいてなされていた(昭和五二年九月二六日付検面調書)。

(2) 右のように被告人は「簿外たな卸」の数額についての弁解に全精力を傾注していたため、本件の「期末買掛金」のことにさして意を用いず、査察官の問に対し迎合的な答弁をした。また、検察官に対しても同様の供述をしたものである。ただ、検察官に対しては中西準商店分と丸吉商店分について査察官の調査結果につき異議を述べていることが注視されるべきである(昭和五二年九月二六日)。

(二) 「期末買掛金」についての被告人の誤解

(1) 被告人は、平常その事業所得を損益計算の方法(所得税法第二七条二項)によって算定して税務申告してきたものであるので、本件脱税事件の逋脱所得の計算も当然右損益計算の方法によってなされるものと考えていた。従って、期末買掛金は、損益計算とは関係のない項目であるので、その存否をめぐってつよく争う必要もない、と判断し、右判断にもとづいて査察官および検察官の質問に応えていた。

(2) 被告人の収税官吏質問てん末書および、検面調書の記載は、右被告人の誤解にもとづく供述であり被告人としては自己にとって不利益な供述であるとの認識を欠いていたものである。とすると、これらの書面については刑訴法第三二二条所定の「被告人に不利益な事実の承認を内容とするもの」との要件を欠いている疑いがある。また、同条の「特に信用すべき情況のもとになされたもの」との要件についても前記(一)の事情からは肯認し難く、その証拠能力に疑問がある。

第二 昭和五〇年分丸吉商店に対する期末貸付金の不存在について。

右弁護人の主張を排斥した原審判決には著しい事実誤認がある。

一、小切手による貸付金一一六万七、〇六一円関係

1 小切手番号D六七〇二の小切手と日計表(既存債権の利息計算)との関係について。

(一) 原審も、右両者は「対応するものとみることが自然である」と、一応は弁護人の主張を認めている。然し、「利息を計算したものであるとすれば既存債権が昭和五〇年分の所得計算のきそとなる同年期末における資産として存在する筈のものであるのにこれを確認し得る資料が見当らない」として究極的には両者の対応関係を否定している。

(二) 右原審のいう期末資産とは本件公訴の訴因を構成している各期末の資産(勘定)の内容を指称しているものと解されるが、右資産の調査は査察官および検察官が公権力を行使してなしたものであり、被告人としてはただその調査の結果にもとづいて訴追をうけているに止まる。

従って、原審指摘のとおり、訴因を構成する期末資産のなかに右の既存債権が入っていないとするもそのことは検察官の責務である訴因構成上の適合の問題であって、そのことによって右の小切手の性質(既存債権の利息金支払のためのものか、既存債権の存在を前提としない単純な貸付金か)が左右されるいわれは毫末もない。

(三) また、原審は、田口トミエの刑訴法第三二八条書面についても言及しているが、右書面における田口の供述の信用性のないことについては原審自身も多言を費やして屡々述べているところであり(かつこ書のなか)、右書面は、とうてい証人としての同人の公判廷における供述を弾劾する証拠とはなり得ないものである。

(四) さらに、原審は右日計表について「業務の通常の過程で作成されたものであるとみることについても疑念が生じないわけではない」という。然し、右日計表は、後日被告人が差し出したものではなく、査察官の令状執行によって捜索をうけその場で押収された、被告人の日常の業務を記録した商業帳簿の一種であるこの一事をもってしても右原審判断の失当であることは明白である。

(五) 以上の理由により、D六七〇二の小切手は日計表の利息計算と完全に対応するものであり、同小切手が昭和五一年に入ってから授受されたものであることは明らかであるので、小切手番号がこれより後の他の二通の小切手をも含めていずれも昭和五〇年の期末貸付金にはかかわりのないことは明らかである。

2 三通の小切手の授受の日について

(一) 原審は「三通の小切手の授受のなされたのは、原判決が説示するとおりの理由により、昭和五〇年一二月三一日とみとめられる」という。処で、この点についての第一審判決の説示は、〈1〉被告人は、一二月三〇日ないし三一日に簿外の貸付をしてもなんら不自然ではないこと、〈2〉木津信用組合における吉浦の当座勘定元帳によると、昭和五〇年一二月三〇日および三一日の両日に相当多額の入金があって手形の決済に当てられていて、同年末、吉浦においてかなりの資産の需要があったことが窺われることと、〈3〉右当座勘定元帳及び小切手発行控によると、吉浦が右小切手用紙を使用して振出した小切手のうち一通(番号六七〇一)が既に同年一二月三一日決済されていること、〈4〉吉浦自身検察官に対する供述調書において、昭和五〇年一二月に振出し交付したものである旨述べていること、の諸点であるので、次に、右説示のいずれも失当であることを明らかにする。

(二) まず、〈4〉の吉浦の検面調書については原審自身も「吉浦が云うように既存債務の存在を前提としない単純な貸付金とみることには少なからぬ疑問が生ずる」としているものであり、また、〈2〉については一二月三〇日の大口の二、二三三、五七七円の入金は他者振出の手形の割引金であり、明らかに本件小切手とは関係がない、その他の入金についても、小切手貸付とされている本件小切手の額面に対応するものは全くみあたらない。また、〈3〉についても、そもそも小切手は支払手段として用いられているものであるから、振出日の翌日に所持人から支払呈示があったとしても何の不思議もない、さらに〈1〉に至っては貸付けたどうかが問題になっているのに対し貸付をしてもなんら不自然ではない、と問に対するに問を以て答えている程のものであって、説示としての意味が全くない。

畢竟、右〈1〉ないし〈4〉の第一審の説示は全て、結論にあわせての牽強附会のものばかりで著しく合理性を欠く。右第一審の説示をそのまま踏襲して、小切手授受の日を昭和五〇年一二月三一日と認定した原審判決も同様、なんらの合理的根拠をもたないものである。

3、小切手貸付であるとする認定の非現実性について

(一) 本件小切手の授受を貸付金とみるのは次の諸点において現実に即さない。

(1) これら三通の小切手の額面は、いずれも比較的少額のものである。前記の原審認定に従うと、丸吉商店(吉浦潔)では昭和五〇年一二月末頃、かなりの資金需要があった、というのであるから、何故、その需要額に見合う程度の小切手貸付を受けなかったのであるか、前述のとおり、吉浦は前日の一二月三〇日に銀行で他者振出の手形の割引をうけて二二二万円余の資金調達をしている事実がある。そのような状況下にあった吉浦が何故、僅か三〇万円そこそこの小切手を切って被告人に貸付を乞うたのであるか、不可解というほかない。

(2) また、実際にも吉浦は被告から本件の小切手貸付をうけたとされている一二月三一日に銀行に対しこれらの小切手の額面をはるかに越える多額の現金入金をしており、同人において、暮もいよいよ押し詰ったぎりぎりの三一日にわざわざ被告人方に赴きこれらの小切手額面程度の少額の金員の借入を乞う必要は全くみあたらない(前出、木津信金、吉浦当座勘定元帳参照)。

(3) また、原審は、一二月三一日に三通分全部の小切手貸付があった、というのであるが、とすれば、何故、わざわざ三通に分けて小切手を切ったのか全く無用の手間をかけたこととなる。ただこの点については支払期日の関係を配慮したもの、との反論も当然に予想される。しかし、そうだとしてもその金額に何故、五、一一四円や一、九四七円といった円単位の端数までつける必要があったのか、およそ金銭の貸借においてこのような円単位の端数までつけて取引する等というようなことはおよそ吾人の経験則をはるかに越えたものであり、金銭貸借としては社会の実生活においてとうていあり得ないものと断ぜざるを得ない。

(二) 以上の事実にてらし、本件三通の小切手の授受によって小切手貸付があったとする原審判決は、いかようの理くつをつけてみても、その根底において、経験則違背の重大の事実誤認のあることは蔽うべくもない。

4、原審の示す結論について

(一) 原審は、最後に、〈1〉小切手授受の日が昭和五〇年一二月三一日である、との認定に続いて、〈2〉昭和五〇年内に吉浦から被告人に支払うべき利息金が前記小切手の授受により吉浦の被告人に対する支払債務の負担として処理されたこととなるのであるから、〈3〉右小切手の金額に見合う貸金債権が同年末被告人の資産として発生したことになり、〈4〉結局被告人の同年期末における貸付金額を減額する理由とはならない、と結んでいる。然し、右判断には次の(二)に述べるような誤りがある。

(二) まず、〈1〉の認定の当否はしばらく措くとして、〈2〉と〈3〉は明らかに矛盾する。即ち、〈2〉ではその文脈上(昭和五〇年内に吉浦から被告人に支払うべき)「利息金」がその主語になっていることは明らかであり、その利息金が小切手の授受によって(吉浦の被告人に対する)支払債務の負担として処理された、というのであるから要するに小切手によって利息金の支払をうけたとの謂と解される。とすると、〈3〉にいうように何故、同時に別にその小切手金額に見合う貸金債権が発生したこととなるのか、右の貸金債権とは具体的には貸金に附随する利息金債権を指称しているものと解されるが、原審の判示に従うと五〇年内に支払うべき利息金は、昭和五〇年一二月三一日同額の小切手の授受によって右同日、消滅しているのである。その消滅した利息金債権が何故、別に発生したこととなるのか、原審のいうところは全くの会計理論を逸脱した議論であり不可解というほかない。

(三) さらに、原審のいう「五〇年内に支払うべき利息金」は、本件小切手のうちの一通(小切手番号D六七〇二)のみであって、他の小切手はこれには関係がない。原審が日計表(利息計算)と小切手との関係について言及しているのも右の一通分だけに止まる。すると、原審が右〈3〉において発生したとする五〇年末の期末貸付金のなかに、これら他の二通の小切手をも含めているのは論理に飛躍がある。

(四) 仮りに、右原審の示す結論を単純に三通の小切手の授受によって小切手金相当の資産が、被告人の期末資産として発生している、というにあると善解してみても、そのばあいの小切手金相当の資産は、原審が認定しいるような「貸金債権」ではなく、明らかに「小切手金債権」である。検察官主張の訴因は「貸付金債権」であって「小切手金債権」ではない。両者は訴因事実としては明らかに別異である。とすると原審認定は訴因の変更手続を履むことなく、訴因以外の事実を認定したことに帰着するので、この点においても違法の判断たることは免れない。

二、約束手形による貸付金七八万七九二四円関係

1、原審は、第一審の認定を首肯するのが自然である、として弁護人の被告人の営業の特殊性にもとづく手形再使用の主張を排斥した。

2、然し、他方、原審は、さきに、被告人の営業について「安価な仕入れをはかるため商品の現金化を急いているブローカー相手の現金仕入れに重点をおいて事業を拡張させてきた」ことの事実を肯認している。右、原審認定の営業の態様こそ弁護人が原審において主張していた巷間、パチもの屋と呼ばれる被告人の特殊な営業形態に外ならない。

3、特殊の営業形態からは特殊の取引態様の生ずることは当然の事理であり、被告人が手形再使用という、通常の営業者サイドからみると異例、不自然のことがらであっても被告人にとっては、ふつう、当然のこととして行っていたのである。右弁護人主張を排斥した原審認定には被告人の営業の実態にそわない明らかな事実誤認がある。

第三、昭和五〇年分榎並春太郎に対する期末貸付金(一三五万円を超える部分)の不存在について、

右弁護人の主張を排斥した原審判決には著しい事実誤認がある。

一、九通の小切手の形状の不自然について

1、被告人方に残留していた小切手九通のなかには、同一日付のものが複数あったり、小切手の日付と小切手ナンバーとの順序が逆になっているものなどが含まれており、残留小切手の全てが現に活きている貸付を証するものとはとうてい認められない(昭和五二年三月二九日付榎並に対する収税官吏の質問てん末書別紙(都繊維が受入れた手形等の検討、榎並春太郎関係)表参照)。

2、右の事実は、原審が認定している榎並、被告人間において小切手による商品買付資金の融資が順次行われ、決済ずみのものは決済の段階で返還されていた、との事実と著しく背馳し、また、榎並自身の、証人としての、また、検面調書(昭和五三年三月一〇日付)のなかでの、決済ずみで返還をうけていない小切手のある旨の供述にも反し、右原審の認定と証拠(小切手の形状)との間に大きな食い違いがある。

二、ビニール製ケース入手帳の記載について

1、原審指摘のとおり、右手帳に被告人の弁解に疑念を抱かしめるような余事記載のあることは否めない。

2、然し、右余事記載を原審認定のとおり被告人の不利益(記載の各貸付金が併存するもの)に解釈するとしても、それらの金額の合計額は五三四万二、七三〇円であり、検察官主張の貸付金の額を一八七万五、五一〇円も下廻ることが明らかである。

3、処で、原審は、右手帳が「被告人が榎並春太郎に対し支払を求めることを前提として自己の手帳にメモ書きしていた」ものであると認定している。右認定に従えば自己が自己を欺くことはあり得ず、右手帳が、被告人において榎並に対する貸付金の回収にそなえてその貸付の事実をありのまま記録していたものであることの蓋然性がつよい。しかも右手帳の最終記載(昭和五〇年九月二三日、一三五万円)が、前記の収税官吏質問てん末書別紙の一らん表に記載の、収税官吏の調査に係る被告人の榎並に対する貸付金の最終分と一致していること(但し、昭和五〇年九月二五日の一一〇万円と同日の二五万円との合計)、さらに、原審指摘の余事記載のなかに前記各貸付金の合計金額と同一の金額メモ書きが含まれていること等を考えあわせると、同手帳が、被告人の榎並に対する貸付の事実を証する証拠物件としての信用性はきわめて高い、と思料される。

とすると、右手帳の記載をもって弁護人の主張を排斥するに止まり、検察官主張に反する右手帳の記載を看過してたやすく訴因事実を容認した原審の判断には証拠に反する重大な事実誤認がある、というべきである。

以上

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